近藤ばあばのせんそうのはなし

「近藤ばあばのせんそうのはなし」、おかやま昭和暮らしプロジェクトでは3回目の開催でした。
今回は地域の方も子ども達もたくさん来られて、大人20名、子ども38名の参加でした。

始めに5分のアニメーションを見ました。
岡山シティミュージアムから貸して頂いた岡山空襲の被害者の体験談をアニメ化したものです。
怖いと言って後ろの方の席で様子を伺っている子も居ました。

ばあばの話が始まるとみんな真剣に聞きました。
灯りが漏れると敵に見つかるというので電灯は覆いをして使っていたこと。
空襲が始まっても帰って来られると思っていたので、女学校の寄宿舎で布団も寝間着もきちんと畳んでから逃げたこと。
波状攻撃で逃げ惑ったこと。
焼夷弾はゼリー状の燃料が降ってくるので、くっつくとなかなかとれず、燃えてしまうこと。
幸い、ばあばは燃料に当たらずに済んだこと。
避難場所からの帰り道には遺体がたくさん転がっていたこと。
たくさん見るうちに麻痺してきてなんとも思わなくなったこと。
だいぶあとになってから、思い出して涙がでるようになったこと。
戦時中も食べ物がなかったが、戦後の方がひもじかったこと。いつもお腹を空かしていたこと。

日本は勝つと教えられていて、負けているという情報は全く入って来なかった。負けるなんて思ってもいなかったこと。
反戦を言う人は憲兵に連れて行かれたこと。
当時はそれを何もおかしなことだと思っていなかった。今思えば洗脳されていたと思う、と話されました。

子ども達から「食べ物がなかった時は何を食べていたの?」と質問があり、
南京(かぼちゃ)や、さつま芋のつる。お米は毎日食べられるものではなく、服と引き換えにして手に入れたりした、とのこと。

休憩をいれて、ジャガイモを蒸かしたものをみんなで食べました。
「おばちゃん、塩ないの?」という子どもに池上さんが「戦争中は調味料も貴重だったんで〜」と言うと、「そうか。」と納得して味わいながら食べていました。

世界にはまだ戦争をしている国がある、平和に感謝しないといけないと締めくくり、会はお開きになりました。

ばあばのお話は子どもにも易しく、スタッフの山本さんの作ったE48収束焼夷弾とその部品であるM74焼夷弾の段ボール模型も大変わかりやすく、「子どもと大人が一緒に学ぶ」を実現することができました。

実際に体験した戦争の話をご本人の口から聞けて本当によかったと思いますし、これを平和につなげていけたらと思います。
ぜひ、来年も開催したいです。 (スタッフ渋谷)

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昭和20年6月、岡山にもB29がきて岡山市内に爆弾を落としました。
当時、女学生で寮生活をしていた近藤ばあばが体験した岡山大空襲。
みんなで聞いて、みんなで話をしてみませんか?
元、小学校の先生だったばあばのお話は、子どもたちにも伝わりやすく、優しくつつんでくれます。

日時:6月21日(水)16:00~17:30
会場:セミナーハウス(岡山県総社市美袋1584-1)
あそびのきちおひさまの近くです。JR美袋駅より徒歩10分。
参加費:大人200円、子ども100円
質素なおやつと資料付き

後援:総社市、総社市教育委員会
助成:公益財団法人福武教育文化振興財団

近藤ばあばの戦争のはなしチラシ後援付き

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前回の様子はこちらから↓↓↓
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