昭和の生き字引、秋政さん

昭和地区の歴史や昔から伝わることについて知りたいなあ、、、と相談したら、紹介頂けたのが、
秋政方一さん。
元総社市社会福祉協議会理事昭和支会長、昭和地区文化財保護協会会長です。

総社市昭和地区は元々、
「日美(ひよし)」
「下倉(したぐら)」
「富山(とみやま)」
「水内(みのち)」の4ヶ村が合併してできた昭和町。
1952年(昭和27年)のことでした。
そこから1972年(昭和47年)に、総社市と合併し、現在に至ります。

秋政さんは、その「昭和町史」のほぼ全ての写真を撮られた方で、
町史制作に尽力された方です。
満99歳になられる今も、昭和町のこと、ご自身の来し方を滔々と語ってくださいます。
満州から丸裸で引き上げたこと、特高にいたこと、中電で働いたこと、お子さんのこと。。。

見せていただいた昭和町史は書き込みやスクラップや資料写真などでいっぱい。
これを貸すと言われたのですが、貴重過ぎて預かることができませんでした。
ご近所の近藤さんに言って同じ本をお借りしました。

分厚い昭和町史。
ぱらぱらと流し読みするだけでも、いろんな面白いことが出て来ます。

目次の構成は
前編
第1章 地形と地質
第2章 気候と生物

本編
第1章 原始時代
第2章 古代
第3章 中世
第4章 近世
第5章 近代
第6章 現代
第7章 民俗と文化財

後編 史料

付録

となっています。

ちょっと抜粋すると、

。。。そして6月22日の水島の爆撃、つづいて29日未明の岡山市の大空襲と戦火はいよいよ頭上に迫ってきたのである。それでも8月15日正午の玉音放送で終戦を知るまでは、「本土決戦」「一億玉砕」をほとんどの者は信じていたのである。この日、水内八幡宮境内では応召兵士の壮行会が行われ、水内村長以下多数の村民が集まっていた。そこへ村役場から終戦になったらしいという急報があった。一瞬、人々は息をのみ、半信半疑であったが、その時疎開者の一人が「日本が負けるのは当たり前だー。」といったというので、かねてからインテリぶった疎開者の行動を快く思っていなかった土地の人々はにわかにやかましくなり、
「君のような非協力者がいたから日本は負けるんだ!」
と、口々につめよる一幕もあった。
 当時、国民の大部分は戦争の正当性と必勝を真治、ただ夢中で滅私奉公するより外に生きて行く道を知らなかったのである。現在から見ると異様な生活や行動が決戦下では正常だったのである。

第5章近代 第13節戦争 2 戦争下の生活 P.642-643より

それに続く章では、「塩田に秘密地下工場の構築」とあります。

民俗文化についても、思わず笑ってしまうような、唸ってしまうような、いろいろな暮らしの事が載っていて、興味深いです。
少しずつご紹介していきます。

秋政さんには、そのあまりに貴重なお話を、シリーズとしてお聞かせ頂くようお願いしました。
お楽しみに!

P1020733