総社市「給食のはなしも。」の会

給食を1週間毎に放射性物質モニタリング検査に出している総社市。この検査は、2012年の10月から継続されています。
詳しくは、総社市のホームページをごらんくださいね。

今回は、総社市給食センター所長の藤井さんをお呼びして、総社市の給食にまつわるいろいろをお話したり、岡山での暮らしのはなし、給食のはなしも、お茶を飲みながらゆっくりできたらと、3.11以降の移住者同士、またこれから移住を検討している方とのざっくばらんなおはなしの会を企画しました。

東日本大震災での原発事故により、私たちスタッフも子供達とともに東京を離れ、岡山へ移住してきました。
途方もなく拡散してしまった放射性物質。
目に見えないこの物質の与える影響に怯え、混入に怯えながら、毎日の食を選ぶ日々が始まりました。
その頃、学校給食に対しても心配が尽きないお母さんたちと一緒に、
総社市給食センターの方々と勉強会や考える会や茶話会を開催したものです。
現在、総社市は県下で唯一、給食への放射性物質検査を継続しています。

それがどういう検査なのか、そのとき、どんな話し合いが行われたのか、
そこから感じることはどういうことか。
食べることって子供や人にとってどういう意味があるものだろう。何を大事にするべきなんだろう。
多様な意見が出て、私も数年前を思い出すようでした。

さんまが年2回ほど蒲焼きで出る。
それはやっぱり心配、というお母さんの意見。「できればやめて欲しい。」
一方、さんまの蒲焼きを食べる食文化は日本の独自のもの。「それを子供に伝えたい。」
そうしたかたわらで、献立に魚が入ったときの残食の多さ、というもうひとつの事実。子供がさんまの蒲焼きを食べる文化は失われつつある。

こんな話も出ました。
「上の子が低学年だったとき、子供にとって重荷になるんじゃあないかと心配して、給食じゃなくてお弁当を持たせる理由を「アレルギー」だと偽った。でも高学年で気づいて、友達に嘘をつくということに子ども自身が責任を感じて重荷になってしまったよう。今学校に行けないのはそれも一端にある。あれこれ心配して食べさせない、周りとの葛藤で疲れきった生活。できるだけ安全な食をということだけをしゃかりきに優先するより、夫婦が仲良くて、毎日楽しく食事ができる、ということを大切にしてやれていれば、子供は明るく元気に育つと言われてはっとした。そうしてやれていたら違ったかもしれない。」

原発事故の後、自死してしまった酪農家の方の話。「生産者のことをまず考えてしまう。」
「ねばならない」だけじゃなくて、いろんな食へのスタイルがあると「選べる給食であればいいのにね。」という話。

こういうざっくばらんな会に「給食センターの所長がどうして来てくれるんですか」との質問も出ました。
藤井さんの答えは、
「自分は全く知らないところから今の現場に来て、初めて食育のことを知った。給食を作る人、献立を立てる人の大変さも知った。でも給食は当たり前、『弁当屋』くらいに思っている人もいる。だからこそ、多くの人に知って欲しい。ぜひ給食センターに来て欲しい。」
でした。

その他給食費の話や、測定の仕方の限界の話、お弁当の許可の裁量は誰に?という話など、いろいろ出ました。

本当に熱い会でした。
多様でいること、その意見を言い合えること、そして、やっぱり私個人としては、政治を行っている方々に対して「私たちはこう思っています。」と伝えることの大切さを改めて思いました。数年前に気づかなかった多くをまた教えていただいたようでした。
みなさん、ありがとうございました。

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藤井さんが「庭にたくさんなるんよ〜。」と大量のいちぢくを持って来てくださいました!

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